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代表紹介

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成瀬 惠剛

Keigou Naruse

 

 

ご挨拶

 

1985年、ある霊能者が「宇宙意識から、あなたにハンドヒーリングを教えなさいといわれた。」といって、突然その人の自宅に連れていかれ、ハンドヒーリングを授かりました。

それから4年後「レイキ」と出会い、習得し自分なりの氣の探求の道に入りました。

それから8年後、1997年11月、35歳のときに啓示が下り、ヒーリングとパワーストーンのお店、「ヒーリングショップ、ナ・ムー」を東京の中目黒にオープン。このころから本格的にヒーリングを開始しました。

 

翌年、「修験道」と出会い、修行の道に入りました。

修験道の靈場には、「靈氣」という単語が書かれています。

今や有名な東京の高尾山では山門に「靈氣満山」と大きな額が掲げられています。私はレイキと靈氣の違いがどこかにあるのではないかと、探求し始めました。そして今から7年前、2006年4月九州の阿蘇の久重山(くじゅうざん)の麓の山に籠もり21日間の水だけの断食をしました。

断食17日目の朝、身体はガリガリになって歩くのもやっとでしたが、山の中で手足を広げ万歳のポーズをとった時でした、周りの木々から白い粒状のものがどんどん出始め、それが私の身体の中に入ってきました。

なんと私はその直後、山の中を小走りで走れるほどに元氣になっていたのです。

そのとき実感しました。「これが靈氣なのだ」と。

靈氣は自然のエネルギーなのだと実感しました。

 

かくして21日間の断食を無事に終え、身体はガリガリ、目はギョロギョロになった私は東京に帰ってきて、自然界から得た自然エネルギー「靈氣」を伝えるために、靈氣道を設立しました。

現在世界に数十万人といる「REIKI」「レイキ」の実践者が行っているのは、臼井先生が広めた「臼井靈氣療法」です。

いっぽう「靈氣」は自然エネルギーの多い山に存在する、自然エネルギーです。修験道でいうところの「靈氣」は、この自然のエネルギー(氣)なのです。

 

当会はその自然エネルギーの靈氣を伝えている会です。

靈氣道は自然の氣を感じ、自然とともに生き、自然体でいられる状態を目指す、「道」です。

普段の現代人はいろいろなストレスにより身体に力みが入り、微弱な緊張状態にありますが、靈氣道で学ぶ事により、普段の力みがとれ自然体になることができます。自然体は人間が一番自分を発揮できる状態です。

 

人間は自然体で生きていくことで、力みがとれ、肩の力が抜け、笑顔が増え、執着もなくなり、結果として幸せになります。

靈氣道、日本靈氣会は人の幸せになる道を探求する会なのです。

靈氣を用い自然体になる、このとてもシンプルな考え方が現代人の必須なのではないではないか、と考えております。

 

私は自然を感じ日々靈氣の探求を行っています。

そしてこれからもずっとそれは続くでしょう。

人と自然、切っても切れない関係をより深く探求し、その先にあるものをまた皆さんにお伝え出来ればと思います。

 

靈氣道は人生のパートーナーです。

 

ありがとうございます。

 

靈氣道 道主 成瀬惠剛

 

 

株式会社ナ・ムー代表取締役

1985年よりハンドヒーリングで延べ2万人以上の人を施術し、300名以上の人に靈氣を伝授。2006年21日間の断食後『靈氣道 日本靈氣会』を設立、毎月靈氣セミナーを開催する傍ら、心に響くカウンセリングを行う。靈氣道日本靈氣会主宰、全米催眠療法学会認定セラピスト、修験道節律根本道場総本山大峰蛇の倉七尾山『先達』。 【著書】2006「あなたの心は大丈夫ですか?」(メタモル出版) 2010「幸せとつながるパワーストーンの言葉」(青春出版社) 2011「神界からのメッセージ」(ナ・ムー出版) 2012「祈りの本」(ナ・ムー出版) 【関連書籍】2011『トップたちの新人時代2』(青月社) 【CD】2009「音靈」(namu-music)

成瀬の生い立ち

1962  熊本県阿蘇に生まれる。生後4ヶ月より45歳の男性の意識で覚醒する。体は動かないが、身の回りのことすべてを把握していた。
 

 

1967  5歳の時、霊の憑依に遭い、何でも見えてしまう。父親の手のぬくもりで憑依現象が治まる。この時期保育園は行かず毎日、山に父と共に登る。
 

 

1968  屋根裏から落ち、死にかけるも奇跡的に無事。 頭から落ちたが氣がついたら、尻もちをつくように座っていた。

 

 

1972  兄とキャッチボールの最中に、ジャンプキャッチして着地したところが1mほどの溝でそこに鉄筋が70cmほど出ていて、その鉄筋に股間から刺さり、睾丸を貫き動けなくなり病院に運ばれ緊急手術の末助かる。後で聞いたところ、あと1cm深く刺さっていたら直腸を破り、出血多量で死んでいたそうある。また、場所が急所だったので麻酔はできなかったそうで手術中はもの凄く痛かった。

 

 

1974  大雨の日、小学校の帰り道で5,6mほどの場所に雷が落ちたが、長靴を履いていたため無事。田舎の道なので3kmほどの砂利道で周りは田んぼだけの高いものは何もない状況で、傘をさして歩いていたがなぜ自分に落ちずに近くに落ちたのか、不思議に思い落ちた場所を覗きにいったら、空き缶が焼け焦げていた。この時、何かに守られているのを感じる。
 

1979  自動車の交通事故に遭い奇跡的に無傷。(同乗者及び対向車は全治1年以上の全身複雑骨折の重態。)この時、UFOに助けられたのを実感する。
 

1979  人間の生きる意味の探求で17歳にて家を出る。

 

1980  「人間が生きていることが地球にとって悪である」、との考えに至りガス自殺を図るも失敗 。神に生かされていることを感じる。
 

1981  うつ状態が続き仕事が出来ず、アパートの電気、ガス、が止められ食事も週に1回だけの生活が続く。
 

1982  大型ダンプカーが良く通る国道沿いに生えていた小さな花を見つけ「こいつは何でこんなところに生えているんだ、ばかだな~。」と思って何で生きているんだろうとしばらく見ていたら、「あっ!俺の為に此処で待っててくれたんだ!」と強烈に感じ、涙がとめどなく流れ出る。そして自分の生きる意味を自覚し生き方が180度変化する。
 

1983  21歳で東京に定住。収入の無い生活が続く。
 

1984  うつ状態になり多摩川の土手に夜中に座り込み、灰色(廃人)の世界に入りかけるも理性がはたらきもち直す。
 

1985  誰かに見つけてもらいたく、身体から白いオーラを出すことを意識する。ある霊能者が突然現れ、「白いオーラを出してるから見つけた。」と言ってハンドヒーリングを伝授される。
 

1986  俳優を志し、映画監督マキノ雅博氏に師従する。師の「俳優は魂を磨け」の一言で、毎日1~2時間の瞑想の日々に。
 

1988  あるきっかけで脳に落雷のような衝撃を受け、神を感受する。「全てが神により生かされ守られていることを知る。」

 

1989  瞑想にて全ての物の根源を見に行こうと思い、宇宙意識(グレートスピリッツ)と出会う。
 

1990  「レイキ」と出会う。それまでやっていたハンドヒーリングは新興宗教との兼ね合いで間違われていたのもあり、レイキを取り入れてヒーリングを行う。映画俳優としてスタートする。
 

1993  御殿場の山の奥深くで映画の撮影の待ち時間に瞑想していたら、意識体の宇宙人が接近し身体の中に入ってきたがいやな感じがせずそのまま瞑想をしていたら、脳に直接話しかけられる。「私はバシャール、これから地球が乱れる、バランスを取る為に地球人と接触している、お前もその一人だ。」その後に地球のこれからの事を教えられる。自分の役割を教えられる。
 

1994  映画の撮影でアメリカへ、帰国後原因不明の高熱に見舞われ、のどの粘膜が腫れ食事ができなくなり一週間寝込み呼吸も困難になり緊急入院の結果、「肝機能障害」との事で医者から、「あと1日遅かったら死んでいたよ。」とわれる。
 

1995  所属事務所がことごとく潰れ、俳優を休業する。アルバイト生活で生計を立てる。俳優の卵の育成を始める。

 

1997  アルバイト生活が苦しくなってきて将来の事を考え始める。そんなある日の朝啓示を受ける。「お前は石屋を始めなさい」、の言葉で3週間後に「パワーストーンショップ、ナ・ムー」立ち上る。貯金5万円からのスタート。俳優活動停止する。オープンと同時に「何だか此処に入りたくなった。」という人たちがどんどん来店し不思議なことが続く。

 

1998  レイキのティーチャーを受講、この時レイキのシンボルの意味を感受する。店舗の引越し。本格的なヒーリングをスタートする。
 

2001  元旦の朝、「今年はシントウ」のメッセージを受ける。早速神社に行き神棚を授かる。毎朝祝詞をあげる日々がつづく。美内すずえさんと出会う。美内さんの引き合わせにより、修験道、大峰蛇之倉七尾山の開祖、山口神直氏と出会う。七尾山へ修行に入る。度重なる神秘体験を得る。
 

2002  「直伝霊氣」受講、山口千代子・忠夫、両氏と出会う。
2003  直伝霊気セミナールームにて山口千代子先生の守護神、白龍大神を感受。「白龍を祀れ。」の言葉を伝える。

 

2005  修験道、大峰蛇之倉七尾山「先達」授与される。山口千代子先生より直伝霊氣初の師範を授かる。1月1日「日本靈氣会」立ち上げる。「靈氣療法」の祖、臼井甕男先生と同じ境地を求め、4月1日命を懸けた修行をするため九州の久住山の麓の山にて21日間の断食行を行う。朝昼晩のコップ一杯の水だけで過ごす。夜は火で暖をとり、水で命をつなぐ、文字通り火と水(カ・ミ)神によって生かされた事を体得した。断食15日目の朝、両手を大きく広げると、体の中に靈氣がみなぎってくるのを体感する。身体が氣のレベルで変化する。

 

 

2006  5月中旬、著書「あなたの心は大丈夫ですか?」発売。9月より世界平和と万物万象の調和の祈りを始める。毎日、般若心経100巻を唱え、12月に1万巻達成、その後毎日200巻を唱え続けている。
 

2007  2月、般若心経2万巻。4月1日「靈氣道」立ち上げる。

 

2008  7月般若心経7万巻

 

2009  東京中目黒に靈氣道場開設。namu-musicより初アルバム「音靈-OTODAMA-」リリース。


2010  6月般若心経122000巻達成。2月舞台「記憶」演出・脚本


2011  11月「幸せとつながるパワーストーンの言葉」出版(青春出版社)。6月「神界からのメッセージ」出版(ナ・ムー出版)

 

 

2012   9月「祈りの本」出版。3.11の影響を受け、祈りをしたいがどのようにしていいか分からないので教えてほしい、という声が増え始めたので、誰でも出来る祈りを広めたいとの願いから、発刊に至る。

 

2014  5月 世界平和の祈りのための「世界平和祈力道場」開設。 祈りを実践したいが何処で出来るのか?自宅では出来ない、怪しまれるのが嫌だ、家族に誤解されたくない、などの声から、だれでも祈りが出来る場所が必要と痛感し祈りの道場を開設。

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